院長挨拶|西条市・周布・壬生川駅 とうよせいこついん

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院長紹介

とうよせいこついん 院長からのご挨拶

院長

昭和59年に開院し、38年が経ちました。
開業当初は包帯を巻いたり、副子で固定をする患者様が多かったように思いますが、最近では首、肩、腰、膝、スポーツ外傷それから交通事故によるムチウチ症状の患者様が多いように思います。
得意な治療は骨格の調整(JRC関節可動回復矯正法)、構造医学を利用したテーピング、レインボー療法(ツボ押し)、ムチウチ症の治療などです。
38年目に入りましたが、これからも患者様の痛みを一日でも早く取り除くことを第一に心がけ、精進していきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

この道を選んだきっかけ

高校二年生の夏休みの日曜日だったのを記憶しています。
父に連れられて訪れたのは、私の祖父の弟の伊予三島市にある高橋接骨院でした。
行くと出前の寿司を三人分用意して頂き食事している時に突然電話が鳴りその後二才くらいの幼児が両親に連れられて来られました。
大きな声で鳴いていたその幼児は高橋先生が二三秒手をさわると、笑顔で笑いだしました。
それから30分もたたないうちに休診中のドアをドンドン叩く音が聞こえ入ってきたのは5歳くらいの女の子でした。
同じように大きな声で泣いていました。髙橋先生が数秒手を触るとその女の子は急に泣き止み動かなかった手を動かし笑顔でバイバイして帰りました。
それを見ていた私は、魔法かマジックでもかけたように見えて大変に驚きました。
それが現在の職業に入る最初のきっかけでした。後になってわかった事ですが、その負傷名は、肘内障(ちゅうないしょう)と言い正式名称は橈骨頭輪状靭帯外亜脱臼(俗に言う小児の肘の脱臼)で特別に難しい症例ではなかったのですが…当時から半世紀以上が経ちましたが今もいろいろな痛みやしびれをもたれた患者様が来院されます。
そのような患者様を子供さんの肘の脱臼のように簡単に短時間で治す事が出来ないかと試行錯誤を繰り返しながら毎日精進しています。

職歴・経歴

職歴

昭和53年~ 木戸整骨院(尼崎市)
昭和54年~ 国里整形外科(茨木市)
昭和56年~ 村田接骨院(寝屋川市)
昭和57年~ 大塚整形外科(高松市)
昭和59年8月 東予接骨院(西条市)開院
平成31年6月とうよせいこついん開院 現在に至る

恩師

大塚裕泰 先生 整形外科院長 元香川県医師会副会長
国里宏一郎 先生 整形外科院長 元行岡学園講師
塩崎博道 先生 前(社)愛媛県接骨師会会長
村田歳光 先生 元(社)大阪府柔道整復師会副会長
吉田勧持 先生 医学博士 構造医学創始者
木戸弘 先生 元尼崎市鍼灸師会会長
小野田順亮 先生 レインボー療法創始者
田代富夫 先生 JRC関節可動回復矯正法創始者

略歴

昭和五十五年三月
行岡保健衛生学園整復科卒業

昭和五十九年八月
東予警察署(現在の西条西警察署のななめ前)に、東予接骨院を開院する。現在までの28年間、「かた」「こし」「ひざ」の東予接骨院として地域の人々の信頼を得ている。

平成七年
(社)愛媛県接骨師会 理事就任。その後、接骨医学学会等での発表多数。

平成十年
介護支援専門員(ケア・マネージャー)の資格取得。(第一回試験合格)

平成十六年六月
初めて楠河公民館において『健康づくりとケガの予防法』の講演を行う。

平成十七年六月
クラレ体育館にて、テーピング教室を実施する。

平成十七年九月
東予接骨院拡張工事を終了し、リフレッシュオープンする。

平成十九年五月~平成二十三年五月
(社)愛媛県接骨師会 副会長・保険部長就任

平成十九年六月
西条市円海寺にリハビリ型のデイサービス「ベストケア・デイサービスセンター東予」をオープンする。

現在五名のスタッフと共に、毎日五十名を超える外来患者の治療に、デイサービスセンターの経営、学会での発表、そして公民館での啓蒙活動にと奔走中である。

院長職歴詳細

昭和53年 木戸整骨院(兵庫県尼崎市)
初めて勤務させて頂いた職場でした。
世間の事を何も知らない私に掃除、あいさつ、電話の受け答えなど基本的な事からレントゲン写真の見方怪我の基礎知識にわたるまで指導して頂きました。
現在、木戸先生は木戸整骨院院長と木戸デイサービスセンター管理者をされていて大活躍しておられます。
当時三歳だった息子さんは、木戸整形外科院長となり木戸整骨院の前で開業されています。

昭和55年 国里整形外科(大阪府茨木市)
次に勤務させて頂いたのは、国里整形外科でした。
初代院長と二代目院長の下で勤務させて頂きました。
二代目院長の宏一郎先生は、スポーツが好きで一緒にテニスをしたり、阪急ブレーブスの顧問していたのでよく球団のトレーナー室に連れて行ってくださり、スポーツ障害についても教えてくださいました。
現在、国里整形外科は取り壊されており、駅前の一等地ということもあり国里ビルという大変大きなビルに生まれ変わりました。
当時中学生であった娘さんが、三代目院長として国里ビルの二階でリハビリテーションに特化した国里整形外科を運営されています。

昭和56年 村田接骨院(大阪府寝屋川市)
次に勤務させて頂いたのは、村田接骨院でした。
屋号は、村田接骨院でしたが看板は、驚くほど大きな看板に赤い文字で「ほねつぎ」とだけ書かれていました。
20代の若者であった私は、当初その看板がとても恥ずかしかったのを覚えています。
しかし勤務してみると、朝から晩まで怪我の患者さんのオンパレードで、毎日50本~100本の包帯を洗濯していたと記憶しています。
現在村田接骨院は、当時中学生だった長男の英昭さんが交野市で村田カイロプラクティック院、村田接骨院院長として後を継がれています。
星加兄ちゃん 星加兄ちゃんと言っていた当時の素敵な笑顔は、今も健在です。

昭和58年 大塚整形外科(香川県高松市)
最後に勤務させて頂いたのは、大塚整形外科でした。
京都大学医学部を卒業し香川県整形外科医会の会長や、香川県医師会の副会長をされた私から見ると雲の上のような存在の先生でした。
そのような先生に星加先生と呼ばれ大変恐縮したのを覚えています。毎日三百人を超える外来の患者さんと多くの入院患者さんがおられ、驚くほど沢山の症例を経験させて頂きました。
現在も長男さんと一緒に活躍されておられます。

お問い合わせ

  • とうよせいこついん

診療時間

住所
〒799-1371
愛媛県西条市周布624-3-1
マルナカ東予店斜め前
アクセス
JR予讃線 壬生川駅から徒歩15分
マルナカ東予店斜め前